レポート|第6回「アートプロジェクトの評価」

RA/佐藤李青

第6回の評価ゼミはテーマを「アートプロジェクトの評価:継続・発展・振り返り編」として、雨森信さん(インディペンデントキュレーター/remo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織]理事)をゲストにお迎えしました。2003年から大阪の新世界・西成を中心に展開されてきたブレーカープロジェクトでのご自身の実践を振り返りながら、その評価についてお話いただきました。



Ⅰ.ブレーカープロジェクトの評価

1. 支援ではなく、投資として
現代芸術の世界から孤立した状況への違和感、社会が経済効率化と均一化へと進むことへの危機感、アートと社会をつないでいくために街に創造の現場をつくっていく。雨森さんの経験や問題意識を背景に、ブレーカープロジェクトはアートと社会の多様な「関わりしろ」をつくっていく活動として、2003年に始まった。
 大阪市の事業(大阪市芸術文化アクションプラン 大阪現代芸術祭プログラム)として始まり、市の予算と単年度の助成金を組み合せながら事業を展開してきた。現代芸術のインフラ整備を目指した本事業は、単なる「支援ではなく、投資として」かつ「消費ではなく、生産へ」という考えをもっていた。
 しかし、行政内ではなかなか認められず、事業名が「現代芸術支援事業」となったときは「支援ではなく、協働で仕事をしている」と他のアート活動を行うNPOと共に声をあげた。

2. ブレーカープロジェクトのはじまり
大阪の新世界・西成を舞台としたのは、スタッフとして関わるremoの拠点がフェスティバルゲートにあったため。自分で選んだのではなく、偶然スタートすることに。第二次大戦の大空襲から復興を遂げるなかで労働者の街となった場所。駅からは近いけど、さまざまな問題を抱えた場所。
 街の人も知らないなかで、初年度は4名のアーティストとプロジェクトを始める。街とは距離があり、かつ街の労働者を排除するようなデザインをもったフェスティバルゲート内でプロジェクトは展開された。街の人をつなぐ仕組みがつくれなかったことが課題となる。
 アーティストの藤浩志さんのかえっこは小学校を会場として事前説明会も含めて開催。プロジェクトは「飛び火効果」を生み、やがて地域の女性会が始めるなど、当初思い描いたものとは違う展開を迎えてきた。

3.対象をこどもに特化した展開
 小さな街にも派閥があり、それを外部の人間が飛び越えて活動することで断絶をつないでいく。街の人との関係の深さを実感し、地元の人をつないでいくことができると実感が生まれてくる。現場の対応や事務局の強化が課題に。
 「アートスクール」という名称でこどもに特化した6つのプログラムを展開。年間を通して地域の小学校や児童館を順番に回ったことで、前のプログラムを検証し、課題を抽出し、改善を行っていくことができた。
 基本はアートティストの欲望から発生したものをこどものために展開していく。ワークショップのクオリティやこどもの自由度とのバランスがあるプログラムづくりが課題に。1日数時間だけのプログラムに限界を感じつつ、1年間こどもと関わることで、ふたたび地元の住民が参加できる仕組みをつくることへプロジェクトは向かう。



4.参加型アートプロジェクトの実践
街の人がプロジェクトに参加し、一緒に作品をつくっていき、街の歴史や魅力を再発見していく。プロジェクトの原点につながる考え方のもとで、4組のアーティストとプロジェクトを展開。これまでになく地元の人々を巻きこむことができた。
 一方でプログラムを詰め込みすぎたことも反省に。地域に根ざした作品を生み出していくには時間が必要、「参加」ではなく多様な「関わり」をつくっていくことのほうが自然、地元の参加者が固定化していないか、を考える。

5.単独のプロジェクトを1年間かけて
2007年は、きむらとしろうじんじん「野点」を1年かけて開催。半年かけて地元の人と準備を始め、説明会を多数開催し、新たな人との出会いや地元の認知度をあげることができた。協力も多岐に渡る。
 この頃から、事業を回すだけでなく、目的や評価を考えていく。それまで事業をまわすことに精一杯。市の事業の大枠が崩れていくタイミングでもあり、方向性や展開を再考。

6.街をつかう、街をつなぐ、街を見せていく
次年度は悩みのなかで始まり、継続可能なアートプロジェクトの実践は可能か、というテーマに取り組む。藤浩志さんは何も決めずにスタートし、色んな人に関わってもらい、とにかく街にあるものを使っていく方法を取った。新たな視点で街を発見し、課題を再確認し、これまでと違った地元とのつながりができ、教育機関との連携も生また。街を使っていく、街をつないでいく、街を見せていくという方向性も生まれる。

7.多様な価値観が共存する意義
再開発で古いものが取り壊され、日本はどんどんきれいになっていくけれど、ブレーカープロジェクトのエリアは人の生活の痕跡が感じられるような場所。改めて街を見せていく。「絶滅危機・風景」を開催。
 西成区の予算で評価、検証の為の報告書を作成。聞き取りを行ない、数値では評価しにくいものをどう評価していくのかを考える。アートが街に入り、どう地元の人に受け止められ、変わっていったのか。聞き取りの結果、はじめは会話が成り立たず平行線の議論しかできていなかった人の新しい価値観は入ってくることで2年での関係の変化や、将来への活動のメリットを見いだすこと、地域づくりとして考えていくことなど、継続してくることで見えてくる多様な価値観が共存していくようなアートプロジェクトの意義が見えてきた。

8.今後のこと
 現在は、これまでの活動を検証し、評価し、新しい目的を立ち上げ、この場所で違うかたちの継続はないかと考えている。まだまだ継続することで、もっと充実したものになっていくはず、持続可能な街との有効な関係をつくっていくかを悩みながら、今年のプロジェクトを展開している。



Ⅱ.質疑

Q 行政という立場の人はこれからも必要だろうか。それとも地元の人達との関わりを深めて、不確定なものをもっている行政の方とやらないというのか。
A この事業は公共事業であるべきだと思っている。行政の文化事業として継続の道を探りたいと思っている。支援されるのではなく、一緒に大阪の文化を考えていく。するべきことをしていくような関係がつくられるべきだと思う。いまは難しいけれど、今後考えていかなければならない問題。

Q 助成金と協働でやっていく、それとも教育システムに入れてしまう、地域社会のシステム化くらいで考えていくのか。
A そこは難しいところ。仕組みのなかにいれてしまうとアートプロジェクトの目的がひとつになってしまう。そこで意味がなくなってしまうかもしれない。システム化をしていくほうがいいという気持ちもあるが、怖いというところもある。今後の課題。

Ⅲ.感想

雨森さんは、率直に毎年の課題やプロジェクトの実情を交えながら、ブレーカープロジェクトの軌跡を丹念に追って話をしてくださいました。「走りながら」や「事業を回すので精一杯」、「単年度予算」と言いながらも、絶えず自らの実践を問いかけ、そこから見出した課題へ対応するように進められてきたプロジェクトの展開を聞きながら、アートプロジェクトの継続すること意義や自らの立ち位置を検証し、次へ生かしていく自己評価の重要性をあらためて感じることができました。

0 件のコメント:

コメントを投稿