レポート|第5回「アートプロジェクトの評価:ピア・モニタリング編」

ゼミ生/増崎孝弘


11月16日、第5回の評価ゼミのテーマは「ピア・モニタリング」(ピアとは、同等・同格・同僚・対等者・・・といった意)。今回のゼミのゲスト講師には、アサヒ・アート・フェスティバル(以下、AAF)の事務局長を務める芹沢高志氏を迎え、氏がAAF参加団体のネットワークから相互評価・検証の仕組みをいかにつくり上げてきたのか、その過程における苦労、そして今後の展望など、貴重なお話を伺いました。



現在のAAFは以下の3つのまとまりがが中心となって動いている
① 期間限定の企画の集合体としての「AAF参加プログラム」
② 一度参加した団体を恒常的にネットワーク化し、新規の企画・団体を視察・支援したり、困難を協議したりするような人的交流の場としての「AAFネットワーク」
③ AAF参加プログラムの選定、AAFネットワークのマネージをする機関として、個人の集合としての「AAF実行委員会」


Ⅰ.AAFの歴史と評価の問題への対応

評価の問題が立ち上がるまで
2002年、それまでのアサヒビールのメセナ活動を集約する形で発足したAAFは、翌年にはトップダウン的な総合ディレクター制を廃止し、既存の企画を束ねていくフェスティバル形式へと移行。

それに伴い、全国から実行委員会への参加者が増加、ボトムアップ式で様々な企画が上がる。有限の資源の中で資金の分配・企画の選定などを行う制度的な枠組みの必要性が高まった。

2005年、公募制へ移行。70近い企画が集まり、30ほどを選定。選定された団体の相互交流支援のために設置された「ネットワーク会議」で、地域社会と向き合っている各団体の共通の問題解決に資する相互交流、ピア・モニタリングの重要性が明らかになった。2006年には「評価」という単語への現場の根強いアレルギー反応を踏まえ、「検証」という言葉をAAFとして使っていくことを合意。

検証体制形成の経緯詳細
2004年、AAF2004の参加プログラムのひとつとして、評価を考えるアートマネジメント講座「ひぐれ学校」が開校される。翌年講座の卒業生が実行委員会に入り、AAF2005年の評価を実施した。非専門家集団による評価報告書が完成。

2006年、より専門的な手法による調査へ。NPO法人アートNPOリンクによる検証チームを導入し、統計学などに基づいた新たな評価手法の開発を目指す。しかし、厳密な評価項目の設定に、現場では反発も強まってしまった。

2007年は前年度を踏まえ、現場レベルでは事前事後の自己検証に留め、モニタリングはドキュメントチームを結成し各地を巡回させ、そのレポートを検証委員会(実行委員会と外部専門家で構成)によってチェック。しかしチームのレポートの質にバラツキが課題になる。

2008〜09年は、そのドキュメントにある程度フォーマットを設定、検証委員会が実際にモニタリングして検証の質を統一する方向性へ進み、現在は、「同業者である企画選定者が、自ら選んだ企画を評価する」というピア・モニタリングの構図を重視し、選考委員会(実行委員会から立候補・互選され、そこに外部委員が加入する組織)が検証委員会を兼務する制度で落ち着いている。


Ⅱ.評価のそもそも論

アートプロジェクトを評価することは可能なのか?
元々自身が所属していた環境アセスメントのシンクタンクで、当時の米国での環境影響評価(EIA)という政策決定手法に影響を受けた。しかし異様に細分化された個別の指標における変化測定の技術的精度の高まりの半面、全体計画の意思決定・評価という問題に対して、EIAの問題点も指摘され始めていた。

2006年の検証チームの専門家が現場の混乱に対し言ったことは、「計画なくして評価なし」。目標値を設定し、現状が目標値からどれだけ離れているのかを測定するのが評価であり、計画がない漠然とした状況ではどんな技法を持ってこようが「評価はできない」。

t時間後の変化を予測する・・・といったような直線的な計画の概念は非常に洗練された。しかしそのアンチテーゼとしての「ゆらぎ」、円環的・螺旋的な計画は可能なのだろうか?

システム論者のエリッヒ・ヤンツがインフォメーション・ポテンシャルという概念を残したように、プロジェクトの価値は、次にくる予期しないプロジェクトをどれだけ生み出す潜在能力を持っているか?というアートプロジェクト評価も成り立つ。おそらく既存の直線的評価システムをある程度使いつつ、それ外側にある変化・ゆらぎ・予期せぬものの生成といった項目を新たな手法で評価する、そういったバランスが必要である。しかしその新たな手法に関しては、未だに断定的に言えるような段階にはない、これからの課題である。

AAFにとってのピア・モニタリングの可能性
AAFはアサヒビールという私企業のメセナであり、パブリックなミッションを持っているものの、税金を使ったプロジェクトとは一線を画している。「何かを世の中に問いかける」ことをある種戦略的に打ち出すために、あえて当事者間で選定・投資をしていく、そういった姿勢も許容されうる。もちろんそれは閉鎖的な当事者による「うちわ」の議論ではない。そのプロセスは開かれているし、フェアな過程である。


Ⅲ.質疑

Q.芹沢さんが関わった事例のプロジェクト・ポテンシャルを見る際に、具体的にどの側面に注目すればいい?

A.横浜トリエンナーレでは、トリエンナーレ全体の計画の中では傍流・予期しない展開がきっかけとなって生まれたZAIMやハマコトリといった存在がある。別府では、わくわくアパートメントという偶然性から生まれた企画があり、そこで生まれたネットワークが今では京都などで新たな展開を生み出しつつある。これらは、僕の中でプロジェクトの積極的な評価の対象になる。


Ⅳ.感想

様々なプロジェクトに関わったアートディレクターとしての現場感のみならず、環境アセスメントという、「直線的で洗練された」評価システムの只中に身を置いていた経験から、いかにアートがそういう評価に馴染まないか、そしてオルタナティブはありうるのか、という問題に対し客観的かつ積極的な議論をしてくださる、非常に稀有な方だと感じました。

AAFがたどり着いたピア・モニタリング的検証システムは、「直線的」評価と、「螺旋的」評価の間のバランスをうまく取った、アートプロジェクトのポテンシャルを測る一つの有効な可能性だと思います。しかしそこへの到達には非常に長い期間、多くの人間のコミットが前提となります。また芹沢さんがおっしゃる通り、私企業のメセナだからこそできる部分もあると思います。

純粋な市民活動・企業メセナ・国や自治体の政策、またその混成など、様々なプロジェクトの性質に応じた有効な評価モデルをバランスよく組み合わせていくこと。これからの社会と芸術の関係を判断する上で、AAFの9年にわたる評価問題との格闘の歴史は、そのアプローチに大いに参考になるものだと思いました。

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