レポート|第4回「行政の政策評価」

ゼミ生/小林寛斉

Ⅰ.柴沼さんのお話の内容

第4回の評価ゼミでは総務省行政評価局の柴沼雄一朗さんを講師に迎えました。 これまでの二人の講師はアート関連業界からでしたが、今回は現役国家公務員で、かつご所属もアートとは距離の遠い部署。アートに関するゼミにおいては異色の講師が、普段あまり馴染みのない国の政策評価制度について親切、丁寧に説明してくださいました。





1.行政評価制度導入の背景
かつて行政組織の最優先事項は、①新しい法律を作る、②新しい予算を通すことの二点であった。しかし、①法律を成立させることまでが関心事で、どう執行されるかが省みられない、②(国であれば)財務省主計局に説明して予算を通すが、実際にどう使われたかの検証が乏しい、などの批判を受けることになった。90年代、厳しい財政状況や右肩上がりの成長を前提としたそれまでのシステムが限界を迎え、行政にも効率が求められるようになった。そこで、三重県を皮切りに自治体でまず評価制度が取り入れられた。国に導入されたのは、橋本行革の時である。


2.政策評価制度の特徴
各省庁による自己評価が基本である。その理由は、①作った法律、とった予算についてきちんと省みるようにするため、②情報を網羅的に把握しているため、重要な情報が出やすいため、である。自己評価では各省庁の「お手盛り」になってしまうのではないかという批判がある。その批判に対しては次の三つの対策が取られている。①客観的になるような基準を設ける(例;数値目標)、②第三者の目を入れる(例;有識者の評価)、③プロセスを透明化する(例;ダム建設にあたっての根拠の試算方法などを公表する)。


3.政策評価の方式
評価方式は三種類ある。①事業評価、②実績評価、③総合評価。事業評価は細かい単位、実績評価・総合評価は大きな括りでそれぞれ評価する。目標はスローガン的なものではなく、具体的に定めることが重要である。「いつまでに」 といった期限も設ける。


4.今後の課題
柴沼さんの個人的な所感。より良い評価をするための今後の課題。

自己評価と第三者評価のバランス
自己評価は網羅的に情報を把握している主体が評価するという利点がある一方、不利な情報が出づらいという欠点がある。他方、第三者評価ではある程度の客観性は確保できる利点があるが、情報を網羅的に把握するのが困難で、部分的な面で評価することになるという欠点がある。

予算との関連
予算には限度額という一定の制約がある中(相対的)、評価の客観性(絶対的)をどのように確保、反映するのか。

ミクロなレベルの評価とマクロなレベルの評価
ミクロなレベルの評価は数字など客観化しやすく予算と結びつけやすい。しかし、マクロなレベルの評価であると、戦略など政策論争的な抽象的な議論になりがちであり難しい。


5.質疑応答
※一問一答ではなく、柴沼さんが答えた内容をいくつかの項にまとめました。

評価制度の狙い
今までの行政は一度決めたことを中止することは困難であった。しかし、 評価制度があることで、事後検証をする材料を提供する。 それによって行政も事業の見直しや方向転換ができるようになった。

事業仕分けについて
事業仕分けでは少ない資料で分かりやすい説明が求められる。「一般人の理解の範囲内」で議論をする。「専門性」を背景にして材料を積み上げている行政評価局からすると、かなり対極な世界である。陥りがちなのは全体像から一部だけを切り取って判断しがちなことだが、一般人の感覚で大胆に結論を下すことは、それはそれで一つの評価である。行政にショックを与える仕組みとして機能しており、また事業自体に関心を集めるという点でも成功していると思う。

アートを評価するにあたって
何を評価するにしても出発点は目標を設定すること。目標を具体化していかなければ評価できない。価値観と価値観の評価はできない。アートを評価するに当たっても目標を具体化する必要がある。例えばリサイクルをテーマにした芸術活動をした場合。芸術では二流三流でも、ものすごくテーマ性があって、来た者全員がその活動に強い印象を受けて帰ったとする。その場合、仮にリサイクルの普及という点で判断すれば良い評価になる。一方、芸術性で判断したらまた違う評価になる。

評価のコストについて
評価自体にコストがかかる。公共事業の評価であれば、研究会を開き、何回も議論し、評価する際の指標を決めて計算をする。非常に手間暇がかかる。そこでコストに見合うような合理的な評価について考える必要がある。実際には、たくさんの評価対象がある中でターゲットを絞り重点的に取り組んでいる。そのようにして深く掘り下げていかないとなかなか問題点が見えてこないこともある。





Ⅱ.感想

柴沼さんがしきりに「議論」という言葉を使っていらっしゃったのが印象に残りました。「議論」を始めるためにはある程度客観的な指標やルールの共有が必要です。そうでなければ、水掛け論に陥りがちだからです。柴沼さんによれば「価値観と価値観の議論はできない」となります。価値観ではなく、同じ土俵で議論をしなければなりません。
 「事業仕分け」も一つの議論の場です。事業仕分けに対して柴沼さんは 「評価方法のひとつであり、今までにない発想でインスピレーションを得ている」とおっしゃってました。これは意外でした。事業仕分けは各省庁側の人間には厳しいものと思っていたからです。それと同時に柴沼さんの発言には一貫性があるとも思いました。柴沼さんは繰り返し、「議論をするために目的、目標を具体化する必要がある」とおっしゃっていました。事業仕分けの目的は「一般人の常識で行政のムダをなくす」というものです。その目的の是非で争わず、その価値観を受け入れた上で議論に挑む柴沼さんには、評価制度に携わる者としての気概と可能性を感じました。
 事業仕分けも専門的観点の判断の欠如という弱点があるように、万能な評価手法というのは存在しません。それぞれの評価手法のメリット、デメリットを把握し、議論を深めていくことが大切だと思いました。

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