研究会2|議事メモ

第2回TARL評価ゼミ研究会
日時:2010年10月4日(月)19時-
場所:小金井アートスポット シャトー2F
内容:
1)前回の議論の振り返り
2)事例報告『つなぐNPO 山梨県立博物館の通信簿』
3)ディスカッション


以下は、ディスカッションの話題を中心にまとめています。

■ 報告書を読んで
・(一般的な評価の) コンセプトから導き出すというよりは、逆の方法をとっているのではないか。
・ 観客の育成になっているのではないか(教育的な項目)。全部回答したら、いい博物館になるのか。万人向けの博物館はできるだろうが、突出した部分が削られるかもしれない。
・ そもそも(評価に)コンセプトやアイデンティティづくりから市民が関わっていけるのか。
・ 市民は色んなレイヤーがあるし、モチベーションも違うけど、任意に汲み取ることで説明ができてしまうのではないか。
・ 博物館の行政評価と市民評価も総体を評価する材料として使えるのではないか。ただそれがお互いに対応している項目になっているのか、またはその情報を同じ議論のテーブルにつなぐ人がいたのか。
・ 外部の第3者機関は専門家と市民の評価をあわせたものになるのか。
・ 誰が評価の材料を集めて、分析をして、評価をするのか。

■ 評価と説明責任
・ 評価をやらなければいけない空気=説明責任。
・ 評価は「ネガティブな面を見つめて、直してほしい」ということがスタートなのではないか。
・ ポジティブなものを育てる仕組みになっていないのではないか。
・ 公的資金が投入された時点で、説明責任が生まれるのではないか。
・ ある程度の説明責任をクリアしたら、面白いことをやればいいのではないか。
・ 有名美術館が上手くいっているのは、集客と経営が上手くいっているからではないか。その間は市民から不満が出てこない。説明責任はそれほど問題にならない。ただし(その説明の基準が)下降線をたどったときにどうなるか。説明責任のデフレスパイラル。

■ 「面白いこと」を育てる評価〜アートプロジェクトの時間
・ 本当の意味でポジティブなものを育てる評価が「面白いこと」を評価するものであれば、それはないのかもしれない。
・ いまは「面白い」ということが経営的な視点から説明されているのでは。人がいっぱい入った=面白かった結果になっている。 面白さを実現するための手段の調整になっている。
・ 面白いものが増えてくるような評価のありかたはあるのか。現状ならば「いかに上手く説明するか」はできるのではないか。枠組みを問うような評価はありうるのか(そもそも必要なのか)。
・ いま有効である仕組み=「人が来た」という説明、が言えなくなるような状況を予見できるのであれば、変えなければいけないかもしれない。
・ 人は少ないけど、面白いことがある。こっちをプッシュできるような評価のあり方はあるのだろうか。
・ 初年度は駄目なのかも知れないけど、次年度以降も続けていけるか、も重要か。
・ マジョリティーの価値観ではないもの。
・「タモリ倶楽部」的なものはないだろうか。でも、 マイノリティーをとってマジョリティー化している?
・ すべてのアートプロジェクトに同じような評価軸をつくろうということに無理があるのではないか。
・ 妻有は一回目にがつがつ評価をいれなかったから成功したのでは。 瀬戸内はその練習があったから出来た。 評価にさらされなかった最後のアートプロジェクトなのでは。
・ 地域と言われたことで評価の時間軸は変わったのではないか。 単年度ではなく「時間のかかること」という考え方が浸透してきたのでは

■ 評価とイノベーション
・ 評価がマーケティングにつながっていないのではないか。重なるけれど、評価のほうが、射程が広いのではないか。マーケティングより意思決定の上位にある(影響する)のではないか。
・ マーケティングはブレイクスルーやイノベーションは生まれない。イノベーションは評価に組みこめないのか(だから面白いものが生まれないのか)。
・ 予想できない状況をつくるのが一番面白い状況。それをどうつくるのか、を考える材料になりうるのか。
・ イノベーティブなヴィジョンを生み出す、とすれば第一回がイノベーションなのではないか。
・ イノベーションをどう組みこむのか。イノベーションを生まれてくるような方法。
・ イノベーションを継続的な成功体験にしていく評価。やり方自体もイノベーションが必要だけど、発想そのもののイノベーションが生まれるようなことがありえるのか。
・ 社会的な投資としてのアートプロジェクト。

■ 成長させる戦略的な評価
・ 防衛的ではなく、成長させる戦略的な評価。
・ 個々でクリエイティブな評価体制をそこでつくっていけるか。
・ 予測不可能なものを組みこむ評価ならば、何でもありになってしまうのでは。
・ システムとしてはとらえどころのないものになってしまう。
・ 組織の目的によって方法を変えていくという意味でクリエイティブ。
・ 成長させる戦略的な評価は外に出さなくてもいいのではないか
・ プロジェクトにクリエイティビティがあるかどうか、なのか。
・ つまんないことを説明しようとしたら、(プロジェクトとして)次の段階にはいっていくのでは。地を這うように生まれたプロジェクトと戦略的な評価→ステイクホルダーが増えると防衛的な評価を組み合わせていく。
・ アートプロジェクトはどんどんステイクホルダーが増える。説明する対象が増えていって、自分で自分の首をしめてしまう。現実的に広げていかざるをえない形式なのではないか。
・ 防衛的な蓄積は出てきている。いかに使いこなせるかの現状。実は使いこなせば使いこなせるほどつまらなくなる。でも、使えば使うほどお金がとれてしまうとか。
・ 既存の評価軸におさまらないところへお金が流れていく仕組みをつくるには。
・ ポジティブで攻撃的な評価とは何か。

■ 評価対象の枠組み
・ プロジェクトのフレームと中身の問題。フレームは企画の組み方、それが作品評価とも密接に関係してくるのではないか。
・ アートプロジェクトが出てきたことで、評価の対象の枠組みが広がったのではないか。
・ 分けて考えることは古いといえるかもしれないが、それに合った何かがまだ出来ていない。
・ 批評の課題でもあり、ポジティブな評価の課題でもある。そこに踏み込むことで、その領域が見えてくるのではないか。
・ 地域を軸に考えると、評価をする人が同化してしまう。アートプロジェクト=みんなを内輪にしてしまうもの。もしかしたら、「第3者」がいい、という視点も変わっていくのかもしれない。
・ 客観性をもっているか、が、共有できる説明の言葉をもっているかどうか、に。
・ 万人に独自のことをやっているなと分かるような評価。実は「評価はされている」ということもあるのでは。評価と呼ばれていないものを評価と呼んでみる方法もあるか。

■ 「アート」ではない問題
・ 「アート」の問題ではないことが、沢山あるのではないのか
・ ベースとなるような一般的なものができれば解決する問題もあるのでは

■ 今後のこと
・ 具体例がなさすぎて、話す材料がない
・ 防衛的な評価を検証していっても外堀を埋めて終わるのではないか
・ やっている人を呼んでディスカッションをするとか
・ ひとつのケースで、防衛的と攻撃的なあり方を2つ出すのはどうか
・ 材料として何をやるのか

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